⑧玄関先でもやもやした日々/不登校から教育移住までの記録

教育移住記録

長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いていきます。

息子からの最大のSOSを受け止められず、背中を見送った日の夜。

「もういいよ、行かなくていいよ」

その一言が出るまでに、こんなに時間がかかってしまったけれど、私は息子にようやくそう伝えたのでした。

「学校、いきたくなかったらいいよ。もう行かなくていい。」

次の日から息子は学校を休むようになりました。

今度は電話や家庭訪問が続く日々

学校を休み始めると、次に待っていたのは、先生からの電話や家庭訪問でした。

学校と自宅の距離が近かったこともあり、とてもまめに、宿題のプリントや手紙を持って、先生が直々に届けに来てくれます。

やっと息子に、もう学校行かなくていいよって言えたと思ったのに。今度は「もう家にはこないでください」の一言を、言いたいのに言えずに苦しみます。

先生がきてくれてるし、受け取りに行こう、と息子と一緒に玄関に行く。

息子は、先生に会うこと自体は嫌がりません。

というのも、話し出すと止まらない息子は、自分の話を一対一でじっくり聞いてくれる大人には、永遠と興味のある分野の話をし続けます。

切り上げ時を逃した先生が、1時間以上も玄関先にいることも。

とりとめもなく話し続ける息子、先生の都合は大丈夫なのか?、いや、それにしてもこれは長すぎるだろう、、という私の本音。

気分よく話しているのを途中で打ち切ると、下手するとパニックし出す息子の特徴。

なんだかもう、私の感情はぐっちゃぐちゃでした。

(ちなみにこんな息子ですが、中1の今は成長してパニックっぽくなることはもうないに等しいです。この先息子はどうなっていくんだろうと絶望していた頃の自分に、大丈夫だよと伝えたい。)

学校は楽しいよ!という登校刺激

先生は、ひたすら息子を褒めながら話を聞いてくれるものの、話の最後には「学校にきたら楽しいよ」というところにつなげようとする。

「すごいね!そんなこともわかるんだ!先生より賢いじゃん!」で、そこで止まらず、「それクラスのみんなに教えてあげてよ!学校に来てほしいな〜」

「明日は君の得意なパソコンの授業があるんだよ!タイピングができるなら、君がいてくれると先生助かるなあ」

などなど。帰り際には「明日待ってるからね☆」と念押しです。

息子の中で今何が起こっていて、なぜ学校を休んでいるのか、つらい、苦しい、という、学校を休んでいる理由に触れることはいっさいありませんでした。

そんな、先生と息子が話している時間を、ひたすらモヤモヤしながら玄関先で見ている私。苦しくて私が倒れそう。

なのに、「もう来ないでください、ちょっと何日間かほっといてください」と、いうことができない、よわよわな私なのでした。

世界が違うことを知る

学校という場所は楽しくて、クラスのみんなが待っていて、そこに毎日行くことが正しくて、何よりも素晴らしい、という世界と

学校という枠組みの中では息苦しくてしんどくなってしまう息子の世界

俯瞰してみれば、それぞれ見ている世界がそもそも違うことがわかるけど、その渦中で当事者になると、目の前のことしかわからなくなる。

だから私は「なんで学校は寄り添ってくれないんだろう?」とモヤモヤし続けていました。

冷静に考えれば、息子を学校に誘うことが、先生が見ている世界でのベストな寄り添いで解決策。良かれと思って、のこと。

私だって一方的に、学校文化からは逸脱している願いや要望を理解してくれ、と押し付けている。お互い様なのかもしれない。

不登校の問題や学校の対応は、親や先生、その人その人の価値観や捉え方がものすごく大きく関わってくるのだということを痛感しました。

私は長男のおかげで、どれだけ人生の階段を登っているだろう。いつからか、諦めずに反発し続けてくれた息子に感謝だと思うようになっていました。(実際に、あの時は本当にありがとう、そしてほんとにごめんね、と今も息子とよく話す。)

息子に感謝しながらも、目の前のしんどさにどんどん疲弊していく毎日の中で、再び息子は学校に行くことになります。これが学校に行った最後の日になりました。

⑨に続く

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