
長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いていきます。
分散登校期間に学校と面談し、これまでの経緯などを話したことで、いよいよ本登校がはじまったら登校してみよう、ということになりました。
久しぶりの学校登校
息子小学3年生、6月半。一斉休校期間を経て、いよいよ登校しはじめました。
といっても、結局2週間通ったかな?という期間でした。
学校に行ってしまえば、「まあまあ、だいじょうぶだったわ〜」とか、どうだった?と聞いても「まあねー」と、気のない返事。
「カウンセラーの先生がいるお部屋で過ごしたよ」とか「今日はすごくやだったわ」とかいうことはあったけど、様子や状況は息子から聞くこの程度しかわかりませんでした。
連絡帳に何かコメントがあることもなく、まあ、それなりに過ごしているのかな?と思っていました。
また積もりだすモヤモヤ感
学校に行った2週間ほどのあいだで、家で大変だったのは「宿題」。
何度も書く漢字練習。もう覚えてるしちゃんと書ける漢字を、なんでこんなに書かなきゃいけないの!
と、まああるあるですよね。
いやだいやだといいながらもやる、とかの次元ではなく、息子の拒否反応はパニックに近いものを感じ、本当に大変でした。
そうだ、色だ。シュタイナーさんすうで、色鉛筆を使うことを楽しんでいた息子を思い出して、「色」を使って書いてみたら?と提案してみました。
鉛筆を持ち替える、好きな色を使う。
持ち替えるというアクションと、色の選択が入ることでちょっと気持ちが切り替わり、1文字ずつノートの最後までなんとか書くことができました。
次の日学校から帰ると、「色鉛筆は使っちゃダメって言われた」と一言。
そうかー、こちらの意図やなぜ色鉛筆を使ったのかの説明を私からはしていないもんな。そりゃそう言われるよな、と思い、連絡帳にお手紙を書きました。
宿題をするのがとても大変なこと、色を使うことでなんとか仕上げられたこと。
けれど、そのことに対して、先生から何か返事がくることはありませんでした。
そうだよね、ただでさえ忙しいだろうしな。でも、でもさ。
なんだか虚しくもありモヤモヤする気持ちが、私の中に募っていくのでした。
あんなに元気だったのに あっという間にしおれていく息子
1日1日、息子の元気がなくなっていきます。
いきたくない、つらい。
朝起きてしょんぼり。帰ってきて、もう疲れて疲れてつらい、と元気のない顔。
息子とどう向き合ったらいいのか、学校にはなんと伝えたらいいのか、私にとっても一番辛い時期だったように思います。
玄関の外まで送ってほしい、あの曲がり角まできてほしい、学校の門までついてきて、と、だんだん送ってほしい距離が増えていきました。
そして忘れられないあの日がやってくるのです。
⑦に続く