⑰次男が通学できなくなった/不登校から教育移住までの道のり

教育移住記録

長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いていきます。

来たいときだけ来る、というシンプルなルールがもたらすもの

市民立のがっこうには、「来たいときだけ来る (=休みたい時は休む)」というルールがあります。

学校には毎日行くのが当たり前、という大きな価値観が根底から代わるルールです。このルールひとつあることで、子どもたちは「今日はどうしようかな?自分の体調や気分はどうかな?」と毎日考えることになります。

そして、この価値観が当たり前なことで、大人は、子どもの決定をそのまま尊重することができます。

こんな日々の積み重ねが、自己決定や主体的な行動の経験になり、尊重してもらえる、認めてもらえる、という自信にもつながっていきます。

私自身はというと、市民立に出会って、風邪をひいたり熱がない限り休むことは悪いこと、という暗黙の価値観から解放されました。

そんなの甘やかしだと、無理してでも、と思う方もいるかもしれません。私も、それって大丈夫なの?と最初はわからなくなりましたが、こんな環境の中だからこそ、子どもたちは自分の意志をしっかりもって成長していくことを、我が子たちを見ていて実感しています。

次男の「いきたくない」をフラットに受け止める

このようなルールがある中で、夏休みが終わる頃に「行きたくない」と次男が言い出したことをフラットに受け取ることができた私。

行きたくないなら休む。休むことに対して、どうして?次はいつくるの?という周囲からの刺激もない。私もプレッシャーに思うことがない。本当にありがたいことでした。

次男がぽろ、ぽろ、と話すことを聞いていると、スクール自体はとても楽しいし行きたいけど、電車通学に尻込みしているということがわかりました。

というのも、電車が大好きな長男と一緒に通学していると、「あの快速電車に乗りたいから走って!」と急にお兄ちゃんが走り出したり、今度は、珍しいあの車両を見たいから、一本見逃そう、と待つことになったりする。

すごくハラハラして大変。でもひとりであの長距離を行くのは怖くてできない。でもスクールは楽しいし嫌いじゃない。

勢いでその場で行動していく長男と、あらかじめしっかり予定を考えて準備しておきたい次男。兄弟でもそれぞれで、一緒の電車通学はなかなか大変だったことがよくわかりました。

そんな次男の本音を聞くことができて、7歳になったばかりで、1学期の間よくがんばったんだなと思いました。

それと同時に、本当の気持ちをちゃんと言えたこと、言ってくれてありがとうと次男に言いました。のちのちスクールの代表の方に話した時も、気持ちを言えてよかったね!と言ってくれました。

何かに気を遣ったり我慢したりせずに、自分の気持ちを言葉にできること。その言葉を尊重してくれる周囲の大人たちがいること。そういう環境で育めていることを嬉しくも思いました。

次男も私も負担なく通学できる方法を模索

通学が心配。という次男の声を聞いて、また試行錯誤がはじまりました。

今回は、「市民立スクールを選択する」という大きな答えは決まっているので、どうすればそれが叶うかを模索です。

オンラインでの仕事がメインだった私は、まずは往復の電車についていくことを考えました。スクールの最寄駅のコワーキングスペースで仕事をして待っていることもしてみました。

やってみてわかったのは、私がこれを続けるのはかなりしんどいこと、電車賃がなかなかかかってくること。

次男が、お兄ちゃん関係なく自分で行けるようになるまでこれを続けるのは、現実的じゃないなとわかりました。

住んでいる地域で再度模索

それならば、市民立スクールの方針を持ちながらホームスクールをするかと考えた時期もありました。

自宅で過ごしながら、なにか地域で併用できる場所はないか、次男のためだけにもう一度探してみたら、何か新しい選択肢があるかもしれない。

そう思って、民間の学童保育や五感を育む系の塾、学習塾などを見学したりしましたが、ここだ、とピンと来る場所はありませんでした。

ある民間の学童保育は、方針やプログラム自体は本当に魅力的で、次男も喜んだのですが、学童は日中小学校に行った子どもたちが放課後に来る場所。そこからスタートでたくさん遊びたい!という次男と、疲れて帰ってくる子どもたちとのエネルギーの差が、側から見ていて噛み合っていない感覚を大きく感じました。

居場所やフリースクールは、市民立がっこうのような方針や学校としての場所ではないことがほとんどです。将来に向けた出口まで考えられた市民立スクールは、やっぱり唯一無二だと、地域で模索しながら改めて感じました。

いよいよ覚悟

次男の通学について色々と模索していく中で、うすうすと感じ始めていた私の覚悟がだんだんハッキリとしていきました。

別居前に数回開催した「つらぬき楽園」を、もう一度ここではじめようか、という覚悟です。

次男の通学に付き添って時間を使うくらいなら、

地域に利用できる場所が、これだけ探してもないのであれば、

これがいい!と思っているモデルケースのスクールがあるんだから、

もう自分でやるしかなくない?

いつか自分で、地域の子どもたちのそんな場を作りたいと思っていた。ならばそれが今でもいいじゃないか。どうせ次男のために時間を使うんだったら、場としてはじめてしまえば、必要な人に広がるかもしれない。

あの時長男に、「かっか学校作ってみようかな?」と言ったことを、今度は次男に聞いてみました。

「もうかっかがスクールはじめちゃおうかな?」

すると次男は「それがいいよ!そこに通いたい!」と言ったのでした。

こうしてここから2年間、私は市民立がっこうの運営に奮闘することになるのです。

⑱へ続く

タイトルとURLをコピーしました