⑮前途多難?! 不登校児童の住民票なし転校の実際/不登校から教育移住までの道のり

教育移住記録

長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いていきます。

移動後の暮らし

夜逃げに近い形で家をでて、移動先での生活が始まりました。

無事に移動できたことを、元住んでいた場所の相談員さんや、移動先の警察署などに伝えました。数日中に児童相談所の家庭訪問もあり、環境が整っていること、子どもたちも元気なことを確認し、継続支援は必要なしとなりました。

移動した当時、息子たちは小学3年生と年長さんの秋でした。

一度避難して、元の地域に戻る可能性も考えていたことと、長男は不登校状態だったこともあり、まずは、あせらずゆっくり休む時間をもらえることになり、移動先でホームスクーリングを継続することになりました。

この頃のことは、今思い返すとあまり記憶がありません。

役所の女性相談に行ったり、法テラスを活用したりしながら、今後どうしていったらいいか、少しずつ、少しずつ進めていきました。

同時に、この地域に長男が通える場所はないか、調べたり見学に行ってみたりと、調べられることは調べていました。

レアケースゆえの大変さを経験

このようなケースの場合、通常であれば、住民票がこの地域にないまま、移動先の地域の学校に籍を移動してすぐにでも通学開始することができます。

でも、我が家の場合は息子が通学を望んでいない状態です。

もといた学校としては、体がここにないのに籍を置き続けるのは難しい。移動先の地域としては、住民票がない状態で、通う意思のない児童の籍をおくわけにはいかない、と、難航しました。

移動先の学校でも、「学校に通ってみて、不登校になったら適応指導教室や支援学級への案内ができる」とのことだったのですが、「通ってみて」という段階を経験するのは、我が家の場合はもうしたくありませんでした。

住民票があるのであれば、そういう場合でも籍を置いて、たとえばインターナショナルスクールに通ったり、ホームスクールをしている家庭もあるのだそうです。

でも、住民票がないからできない。「本当は通わせたいと思っている」、と一言を言えば籍を置かせてくれると言われたこともありましたが、教育選択をしたいことは明確なので、本心ではないことを言うのはもうしたくありませんでした。

模索する中で、ここなら公立の学校にも通えるかもしれないと感じた小さな公立の学校がありました。

息子も見学に行き、ここなら、ということで、移動後数ヶ月でさらにその地域に引っ越しをしました。学校は我が家の状況も理解してくださって、学校としては受け入れ態勢を整えようとしてくれていました。

ちょうど、年長の次男も就学時健診を受ける時期。その小さな学校で受け、そこに通うつもりで準備をしていたのですが、最終的にはそこも、住民票がないことをきっかけに通うことができないことになりました。

夜逃げのように家を出てきて住民票が異動できないというレアケース。そして、一条学校以外の選択肢をとりたいというレアケース。

レアケースが重なり合った状態の難しさ。書類や紙ベース、決まりや前例がないということに翻弄され、もどかしい思いをすることが本当に多くありました。

オルタナティブスクールへ入学したものの・・・

公立学校への在籍問題が解決しない中で、あるオルタナティブスクールの存在を知りました。

そこは、不登校支援もしていましたが、教育選択をすることにも積極的でした。住民票や学籍は問わず、長男だけでなく、これから小学生になる次男の入学もすぐに受け入れてもらえることになりました。

入学金に月謝、兄弟2人分。決して安くない金額でしたが、選択肢はそれしかない。入学することにしました。

しかし本当に残念なことに実際に通い出してみると、教育方針にずれがあることがわかり長くは続かず、1ヶ月ちょっとで通学が難しくなり退学。

引っ越し代に入学金。出費が嵩みます。離婚の話し合いも進まず、とてもしんどい時期でした。

そしていよいよ辿り着く

他にも探したフリースクールはとても高額だったり、小学校入学前の次男に関しては、「一度小学校に行って無理だったらまた相談しにきてください」ということがほとんど。

この地域でも、行き場をなくした私たち親子。

「これはもう。いよいよ一度”あそこ”に行ってみるか。通えないにしろ、行ったら何かアイデアがうまれるかもしれない」

偶然にも、移動してきた先は東海地方。あの衝撃を受けた”ツクルスクール”があるのも東海地方です。移動先の地域からは近くはありませんでしたが、移動前と比べたら、ぐっと近くなりました。

そして調べていくと、移動先の地域とツクルスクールのちょうど中間あたりの場所に、姉妹校的なスクールが立ち上がっていることもわかりました。

実はこの時点で可能性として、ツクルスクールのふもとに引っ越すこともほんの少しだけ考えていましたが、できれば移動先の地域で過ごせる方法を模索したいと思っていました。

あんなに遠い話だと思っていたツクルスクールが、実際に見学できる距離感になったこと、まるで導かれているかのようだと思いました。

そして実際に見学し、一尾さんにも直接会うことができて、やっぱり私は、市民がつくるこの学校の形やシステムに非常に共感し、この教育を選びたいと心底思いました。

これにて、ツクルスクールの地域に引っ越して教育移住終了!・・・とはなりません。実際に教育移住をするのはこの時から4年後のことです。

この時、両スクールとも見学した結果、電車が大好きだった長男は、その中間の地域に位置する姉妹校に電車通学したい!と言い、次男も、お兄ちゃんと一緒なら行く、と言いました。

適応指導教室にも馴染まず、一度入学したオルタナティブスクールも難しかった長男が、このスクールには、自ら行きたい、と言いました。実際に体験してみて、ここなら過ごせそうだということを、親としても感じました。

そして私自身、やっぱり移動先の地域でまずは落ち着いて暮らしたいという気持ちが大きかったこともあり、電車通学を選択することにしました。

長男小学校3年生、次男年長さんの年度末のことでした。

通学先が決まったことで学籍の移動も可能に

この時、子どもたちの学籍はまだ、移動前の地域のまま。まもなく年度を跨ごうとしていた時期、さすがにこのまま籍を起き続けるのは難しい、ともとの地域の教育委員会からも言われていました。

移動先の地域に申し出たところ、一度は、やっぱり住民票がないから難しいと断られてしまいましたが、女性相談や法テラスでも相談し何か方法はないかと模索しているところで、特例として在籍をさせてもらえることが決まりました。

やっと安心して通える場所が見つかり、次男の小学校入学時からの教育選択も叶う。しかも、心から共感している市民立のがっこう。本当に大変な道のりだったけど、心の底からほっとしたのでした。

⑯へつづく。

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