⑩適応指導教室と児童精神科/不登校から教育移住までの道のり

教育移住記録

長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いていきます。

学校に通うことに限界を迎えると、学校でもいよいよ適応指導教室を紹介してもらえることになりました。

同時に、自分でもできることを探し、児童精神科にまずは親の私だけで相談に行ってみることにしました。

ギフテッド2E という言葉を初めて知った日

適応指導教室に見学に行くと、小学生から中学生まで、15名前後でしょうか、ゆったり時間が流れるその場所で、子どもたちが過ごしていました。

勉強の時間、体を動かす時間。学校よりも大きな枠で、タイムスケジュールが決まっている。以前校長先生だった先生、心理士さんなど数名で運営していて、中には臨床心理士の先生もいました。

その臨床心理士の先生との面談で、私は初めて、「やっと息子の今に目を向けて話してくれる人に出会えた」と思いました。

これまで起きたこと、息子の特徴。少し話しただけでも、そういうケースをいっぱい知っているんだろうなという反応に、ようやくホッとしたと同時に、息子が悪いわけではない、という言葉に救われもしました。

その中で、「ギフテッド2E」という特徴によく当てはまるということを言われました。

ギフテッドって、なんか超天才、のイメージのやつ。いやいや息子が?そんなことは。でも確かに言われてみれば十分当てはまる要素があるかも。

特定の分野に強い関心や興味、理解力などを示す。同時に、極端に苦手な分野もある。このでこぼこや他の特性を併せ持つのが「ギフテッド2E」。

うすうす感じてはいた、発達障がい、グレーゾーン。「ギフテッド2E」もそのひとつであることを初めて知りました。

日本の支援は主に、平均よりも下(という言い方は好きじゃないけど)の支援やケアに特化していて、上に飛び出た吹きこぼれの子どもたちもまた支援が必要な面があるのに、そこは目を向けられないことが多いこと。

色んなことを知ることができた面談でした。

「発達障がいは病気ではありません」

適応指導教室に見学に行った頃と同じくして、児童精神科に相談に行きました。

発達障がい専門のクリニックなどは、予約が先何ヶ月も取れないらしい。そんなに待っていられない。どうにかすぐにでも診てもらえる場所はないだろうか。

それに、どんな先生に診てもらうかがすごく大事なのではないかと思っていて、気になるところをしらみつぶしに調べまくった。

こういう時に隠れた穴場を見つけるのが得意な私。この時も見事、この先生に相談したい!と感じたクリニックに行き当たり、そしてそこでは、数日後の予約をとることができました。

なぜこの先生に、と思ったのかというと、先生自身の考えが、事細かにブログに記されていた中で、「発達障がいは病気ではない」と書いてあったこと。

本人や家族、そして関わる社会がうまくまわっているのであればそのままでよい、もし困り事を抱えた状態になっている場合は、なんらかの対策が必要である、ということ。環境を調整することがとても大切だということ。

じっくり話を聞いてくれそうな予感と共に、このクリニックに決めたのでした。

児童精神科で相談したかった本当のこと

実はこの頃から、元夫との関係が悪化するようになっていました。

元夫には、長男の特性ととても似たところがあることをずっと感じていましたが、本人はそういうことを考えるのは避けてきているようでした。

でも、長男の不登校の経緯を通して、目を背けられない状態になり始めていたように思います。

息子がこうなったのは自分のせいなのかもしれない。自分なんかが子どもを持ってはいけなかったのだ、と口にするようになっていました。

「大人の発達障がい」も専門だったその先生に、息子のことよりも元夫のことを相談したい。それが本当の目的になりつつありました。

実際に診察では、息子のことも元夫のこともじっくり話を聞いてくれました。

息子は、いま困りごとが起きてしまう場所(学校)から距離をとって、合う場所を模索していること、家では元気に過ごしていることから、今早急に何か対策が必要な状態ではないでしょうとのこと。今後心理検査を受けてみることを勧められました。

そして元夫のこと。心理検査を受けてみるといいかもしれないけれど、大人となると、本人の意向がまずなければ難しい。もしご本人が希望すればこのクリニックでも検査を取りますとのことだった。

そして発達障がいに関する簡単なチェックシートをもらって帰宅したのでした。

児童精神科への相談は、たとえ息子の相談という名目であっても、なんだかいい気がされないだろうという直感から、夫には話さずに行きました。

そしてこのことを話したことで、夫の状態はますます悪化していくこととなるのだけど、そうなるのはもう少しだけあとのこと。

夏休みまでの残りの1学期の間、息子は適応指導教室に通える日は通いながら過ごすようになっていました。

適応指導教室も根本的な枠は変わらないことを知る

適応指導教室に通い始めたものの、息子は毎回、「かっかも一緒にいて」と言いました。

慣れるまで同伴はOKだったので、勉強の時間は見学したり、運動は一緒にやったりしました。私はもともと教師になりたかったこともあり、子どもたちと過ごす時間は私にとっては楽しくて、それはそれでいい時間だと思うことも多かったです。

けれど、回数を重ねていくと、学校で起きたようなことが、適応指導教室でも起きるようになっていきました。

まず最初に、体験に行った次の日にさっそく。

そこに通ってきている子どもたちは、席やロッカーに名前があって、座る場所が決められている。

教室に入っていった息子は、自分の名前がどこにもないことに気づき、「帰る」と機嫌を損ねてしまいました。

「こんなことで!」と思わず腹が立ちそうになった私。臨床心理士の先生は、「当然のことです、こちらの配慮が足りなかった。当然の主張をしてくれたまでです」と言ってくれて、私は涙が出そうになりました。

それからカードゲームの時間。息子はいつでも本気になります。負けたら、こうすれば勝てていたのに!と本気で怒り出してしまう。

私も一緒に参加しているもんだから、もう気が気ではない。息子が機嫌を損ねずにゲームが終わってくれ、、ということばかりに気を取られてヒヤヒヤしていました。

体育の時間にも、同じ。校庭でやる簡単なゴルフ。自分の番に一度しか球を打てないルールで、それは空振りをしても一回に見なされる。案の定、空振りをした息子は納得がいかない。「今日が初めてでまだ練習だってできてないのに!みんなは何回も練習してるのに!そんなのルールがおかしいじゃないか!」と。まあ、確かにそうなんだけど。という主張をし始める。

(中学生になった今、気持ちのコントロールはかなりできるようになって、トラブルになることはなくなりました。時間はかかっても成長することを、当時の私に教えてあげたい。)

こんなことが重なり出した頃、臨床心理士の先生が言いました。こういう子たちには訓練が必要なんです、犬と同じなのだから。と。

「へ?今なんて??犬と同じ・・・?」聞き間違いかな?と、思わずハテナが飛んでしまいました。

それぞれの特徴を受け入れて、そのまま伸ばしたり、必要なことはトレーニングしながら過ごしていける場なのかと思っていたのだけど。

「矯正」させて、最終的には学校に戻ることを目的にしている場なのだということが、だんだんとわかるようになってきました。(あくまで息子が通ったその場所の話です)

ここでは長期休みが明ける頃には、子どもが嫌がっても一度は必ず学校に戻り、また大変だったら戻ってくるのが通常な流れなのだということも知りました。

今ここにも馴染めていないのに、もうすぐ夏休み、それが過ぎたらまた一度は学校に戻らなければいけないのか。。。

「適応指導教室」は、学校への復学を戻さない場所、と言われてはいるけれど、その実際は、現場現場の理解や方針によって、かなり異なっているということは、移住してからわかったことでした。

(なので、この話はあくまでも我が家の体験談。適応指導教室が全部こういう場所というわけではないことをご理解ください。)

このまま適応教室に通うのも、いよいよしんどい。ここが無理なら、もうどこに行けばいいのだろう。

いよいよ行き詰まったその時、大学の同級生で小学校教師をしている友人に相談しました。これが私の、私たち家族の、大きなターニングポイントとなるのです。

⑪につづく

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