市民立がっこうの運動会

教育選択
市民立がっこうの運動会

今日は次男の運動会。

運動会と聞いて、誰もが想像する運動会とは、全く異なる運動会。

誰から言われたわけでもなく、運動会をやりたいという声がメンバーからあがったことをきっかけに、今年で3回目の開催。

その年に、やりたいと仕切るメンバーがいなければ開催はない。

今年はあるのかな?と、私は少しソワソワしていた。というのも、過去2回、行きたかったけど見学に行けていない。昨年は運動会の事後上映会を主催して、映像で見た。感動した。来年こそ行きたい!と思っても、開催されるかわからない。

「運動会の日程」のお知らせがアップされたのは5月頃だったかな。あ、今年もあるんだ!とちょっとワクワクした。

しかも今年は息子がメンバーとなって、いち保護者としての見学でもある。楽しみだ。
(と言っても、息子は参加するかどうかはわからない。参加したい人だけ参加するものだから。息子が参加しなくても、私は見にいく。笑)

当日

運動会は午後から。午前中は校舎で過ごし、お昼ご飯後に電車で移動するらしい。前日にタイムスケジュールを見た次男は「運動会から合流するわ」と言った。(お、参加するのね、と内心ちょっと嬉しくなる親心。)

移動時間になり、友達とうまく会えるように少し早めに最寄駅に行った次男。私は後から出かけていった。

会場は屋内ホール

会場のホールに集まると、椅子をもって会場の端っこをぐるりと囲むように座り始めるメンバーたち。去年、一昨年、参加しているメンバーかな。その様子を見てみんなそうしていく。指示が飛ぶことはないまま、はじまっていく。

去年仕切っていたのは中3女子2人だった。今年は中3男子2人のようだ。

やる自由とやらない自由

「まずはしっぽとりをします。やりたい人出てきて〜」とはじまった。

ホールの端っこを走り回っている子もいる。椅子に座って話している子もいる。やりたい子たちがらわらわら、とホールの中央に集まっていく。

その場で競技を知る、ルールを聞く。
「ここまで聞いてやだなーと思った人はやめてね〜 椅子に戻ってね〜」と中3。

実際にやめる子もいる。逆に、座っていたけど輪に入る子もいる。

全部で5つの競技をやったけど、毎回ルール説明の時、チーム分けの時、競技が始まる時、「やりたい人きて〜」「やめる人は戻って〜」のアナウンスは何度も何度もあった。

やらされている人が1人もいない、やりたい人だけ参加するから成立する空間。

「やりたい」か「やりたくない」か、理由は問われず自分の気持ちに素直いられる、その気持ちのままに行動することが保証された空間。

走り回ったり、取っ組み合ったり、ごろごろしていたり、個々が自由にしているのに、問題もいざこざも無く競技は進む。

まずはやってみる、その場で調整していく

何人参加するのか、その競技ごとに変わる。

中3の2人は、その場で色々考えながら進めていた。

綱引きでは、小4以下と小5以上でわかれて試合をした。

パワーバランスはやってみないとわからない。「やってみてどっちかが圧勝になったら調整しまーす」と言って一回戦が始まる。

案の定だったのか、圧勝で勝負がついたので、メンバーを調整して2回戦。いい勝負になり、一回戦目で圧勝したチームが今度は負けた。

やってみて臨機応変に対応する。やりながら調整する。普段のスクール生活の中でもそんな機会が多いこともあってか、実に自然にみんなその流れの中にいる。トラブルは起きない。みんな自由で、なのに一人一人を思いやっている様子が伺える。優しい空気。

なかなか白熱していた綱引き
勝ち負けも優劣もない

一つ競技が終わると

「お疲れ様でしたーありがとうございましたー」と言う中3。

勝ち負けにこだわっている子はいい意味でいない。勝って嬉しい、負けて悔しい、は、子どもたちそれぞれの中にはあるようだけど、それよりも、その競技に参加していること自体を楽しんでいるのが伝わってくる。

勝ち負けも、運動の得意不得意も、外から何かを評価されることはなく、誰かに何かを披露するための時間でもない。

純粋に、友達や、たくさんのメンバーたちとで、体を動かす遊びや競技をすることを楽しむ時間。

私は運動が好きではない。人前で体を動かすのは恥ずかしいことだとさえ思う運動音痴だ。

苦手で本当はやりたくなくても、やらない選択肢なんてもちろんなくて、体調が悪くないと休むことは許されない。そして「勝つ」のが「良い」という当たり前の中にいた自分の小中高校時代。

競技をスムーズに、トラブルなく行うための何時間もの練習。勝った時のリアクション、負けた時の勝ちチームへの拍手の練習、整列して入場する練習。応援の練習。

今日、この全てはなかったのに、トラブルなく競技が進み、自然と応援が生まれ、勝敗がついた時に拍手が起こり、必要な時には並び、それぞれが自分のペースで入退場していて、誰もが楽しそうだった。

運動会の目的って一体?根底を問われるようだった。

色んな気持ちが込み上がりながら、感動したり笑ったりした2時間。

こんなスクールでたくさんの子どもたちが育っている。子どもらしく、それぞれの年齢相応らしく、楽しそうに生きている。嬉しい。そこに我が子もいる。とても幸せなことだ。

言葉にならないじんわりしたものが心に響き、何度も目頭が熱くなってしまった。

今年も事後上映会があったらぜひ参加したい。仕切っていた中3がその時その時何を感じていたのか、そこまで聞けるのが市民立がっこうの運動会の醍醐味なのだ。

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