明日の予定は?と子どもたちに聞く

教育選択

我が家の2人の息子たちは、市民立小中一貫校という教育を選択している。

フリースクールでもオルタナティブスクールでもない、市民立小中一貫校。これは、ある地域で実践され、その実践を模して他の地域でも少し展開されている市民がつくる新しい教育の形。

何が新しいか?それには書ききれないほどの内容があるけど、確実な違いのひとつは、中学卒業後の進路に、個人事業主として社会で働くスキルを身につける高等部があること。教育の出口が、進学でも就職でもなく個人事業主。ここを見据えた教育の場になっているということ。

長男は小3の2月から。次男は小学校入学時に市民立を選択した。この経緯は、とても長くなる。また改めて書こうと思う。

市民立小中一貫校は、運営責任者が人件費を受け取らずボランティアで運営している。慈善のためではない。その方の試行錯誤や経験の中で編み出された、持続可能で、大人も子どもも保護者もスタッフも、全ての関わる人が対等でいられるシステムの形がそれだった。

学費は昼食代や施設費、その他活動に必要な実費のみ。入学金や授業料はない。

先生はいない。施設を管理し、必要な片付けや掃除や戸締りをするスタッフが1人。対して子どもは小1から中3まで、日々、だいたい40~50名がそこに通ってくる。

このシステムで成り立たせる時に必要なこと。それは、その場の最低限のルールを守ってひとりひとりが過ごすこと。そのためには、「スクールに行きたい」と思う人だけが来るということ。

行きたくないのに行かされる、本当は休みたい、ここでは過ごしたくない、そんな本心の人がいると、知らず知らずにストレスが生まれ、外部に向き、問題へと発展する。

だから、「来たい時に来る、休みたい日は休む」、これが大きなルールのひとつだ。

行くと決めたら必要な準備はさっさとして足取り軽く出かけていく

そして、この選択を毎日することは、自分の気持ちや考えを行動に移す、それが批判も評価もされず受け入れられる、という経験のシンプルかつ大切な積み重ねになる。

行くかどうかは本人が決める。だから私は子どもたちに「明日の予定は?」と聞く。行ってほしいとか、また休むの?と言う気持ちはなく、予定を知りたかったり、自分の予定も決めたいから聞く。

「まだ決めてない」とか「明日は行くよ」とか、「家にいるよ」とか、返事が返ってくる。「朝起きた時の気分で決める」と言う時もある。

その選択をそのまま尊重するのに、「お金払ってるのにまた休むの?」なんていう余計な感情が生まれないのもまた、授業料無料のメリットのひとつ。

この小さな積み重ねで、実際に子どもたちは自分で考えて行動するベースが育っていることを日々感じる。

そして、自分の本心が尊重されているから、他者にも寛容で優しい。

タイトルとURLをコピーしました