⑳教育移住に向けて準備/不登校から教育移住の記録

教育移住記録

長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いてきました。今回が最終回です。

移住を決めた理由

自分で運営してきた「市民立小中一貫校つらぬき楽園」の活動が全て終了し、我が家はいよいよ、市民立がっこうの本拠地瀬戸市へ教育移住をすることになりました。

移住を決めたのは、次男がこの先育つ環境を考えてのことと、市民立がっこうで中学高校と育ったあとの息子たちの未来を考えてのこと。

フリースクールや学校外の居場所という選択肢は増えていますが、その先は進学、就職という大きな道しかないのが社会の現状です。

そんな中で、「個人事業主」として社会で働くスキルを身につけるのが市民立小中一貫校の高等部。そこで学び、実際に社会に出ていく子どもたちのことを考えた時に、私はそういう教育のあり方がある程度地域に根ざしている場所に住んでいたいと、直感的に思いました。

市民立がっこうという価値観は、本拠地の瀬戸市であってもその本質までもが広まってはおらず、やっぱり少数派の選択なのだということを、移住した今実感しています。

だからこそ、この価値観を共有し合っている人が少数ながらも集まっている場所にいることは、ひとり親である自分に将来何かあった時にも、子どもたちが生きていけるのではないかとなんとなく思ったことも、移住の決め手のひとつでした。

実際に、その教育の中身までは広まっていないとはいえ、あそこにそういう学校あるよね〜、ということは、美容院に行ったり、整体に行ったり、市役所の手続きでも、誰もが知っていて、いろんなことがスムーズで。ちょっとしたことなんだけど、積もり重なる小さなストレスがない感じがしてとて、とてもありがたい環境だということを感じる日々です。

物件探しと体調悪化

つらぬき楽園をやめてから、体調の波を見ては瀬戸に通い、ちょうどクリスマスにココ!という物件を決めることができました。

年明けすぐにでも移住したかったのですが、その物件の引き渡しは早くて1月末。2月に引っ越すつもりで引越し業者を予約しましたが、その間にかなり持病が悪化してしまいました。

ご飯を食べてトイレに行って、1日をなんとか過ごす。メニエール病の症状だけでなく動悸息切れのようなパニック発作も出たりして、とにかく起き上がるのもやっと。

体調がしんどい波にまた飲まれてしまった。気分的には絶望です。

長男の不登校や突然の別居から4年。これまでのがんばりが全て体に出ていると思いました。その4年どころではなく、結婚して10年以上抱えてきたもの、それ以前から自分自身で抱えてきたもの。

体に鞭打って、気持ちだけでがんばってきた自分が、もうこれっぽっちも動きたくない!!と言っているかのようだと思いました。

引越し自体間違っているのか、やめた方がいいのか、冷静に考えてみたこともありますが、移住した後のことを想像してみるとワクワクしたり肩が軽い感覚がする。この直感の方向に動くことに間違いはない。

ここでもずっと学んできた感性ラボの再創造マインドが役立っていました。

でも、焦ってもしょうがない。というかどうがんばっても体が動いてくれない。ワクワクする方に進むために、引っ越しは一度延期。とにかく休むことをゆるしながら過ごし、実際に移住したのは、年度を跨いだ4月の半ばだったのでした。

転校の手続きがスムーズ!

年度を跨ぐ引っ越しになってしまったので、新年度からの子どもたちの学籍をどうしたら良いか、引っ越し前の地域と引っ越し先の地域の教育委員会と相談しました。

引越し先の学校に直接連絡して事情を説明すると、やはり市民立のふもとというだけあって、至ってスムーズ。

先に移住してきた家族も他にもいるし、対応に慣れているような感じがしました。

それは市役所の窓口でも同じ。引越し前の地域では1から説明していたことが、「あ、そこに通うんですね〜」で終了する。

説明することが嫌だとは思わないけれど、そういう小さなところから積もっていく疲れとか、なんか嫌な対応だったな〜とか思う機会が減ることは、ひとつひとつ受け止めてしまいやすい体調の自分にとっては本当にありがたいことでした。

今回我が家の場合だと、年度を跨ぐ引越しということで、区域外入学的なシステムがあり、実際に引っ越してきてはいないけれど、年度はじめから引越し先の地域の学校への在籍が認められることになりました。

長男は中学校、次男は小学校4年に在籍。

各学校がその在籍をどう扱っていくかは学校や担任の先生に任されていることのようで、

中学校の次男は、名簿に名前を載せて、クラスの生徒にも〇〇君という子がいるということを伝えて良いか?と相談がありました。

不登校、また来れるようになったらきてほしい、という価値観が見えかくれするところです。

我が家は市民立を選択しているので、それはお断りして、事務的に最低限必要な形のみしていただければ大丈夫と伝えました。

待ってるだけでは出会えない 不登校のその先に広がる本当の選択肢

長男の不登校がはじまった頃は、あんなに悩んでいた学校とのやりとり。我が家はこうします、こういう選択をします、ということを伝えれば、こんなにもスムーズなのだということ、当時はまったくわかりませんでした。

この地域では前例があるからこそのスムーズな部分はもちろんありますが、移住前の地域でも、前例がないと言われながらも、そういう選択をとる道はあって、認められました。

さらに、もともと住んでいた地域でも、別居した後に教育委員会と話していく中で、オルタナティブ教育を選択している家庭はあるし、在籍のみして他の場所に通うケースへの対応が普通にあることがわかりました。その地域は都心だったので、むしろその数も多かったのだと思います。

でも、不登校になった家庭に、学校からそういう選択肢が紹介されることはほぼありません。

一般的な不登校支援で得られる情報がいかに限られているか、この4年で自分が辿った道を振り返って、強く実感しています。

㉑に続く

タイトルとURLをコピーしました