私は抱っこ紐の専門家。
とても珍しい職種だと思う。助産師さんや整体師さんが、抱っこ紐についても学び、仕事にその知識技術を活かしているケースはよくある。
私は保育士や子育て支援員として働いていたが、抱っこ紐の世界に出会ってからは、メインの軸は「抱っこ紐の専門家」になった。
医療従事者でも身体の専門家でもない。抱っこ紐一筋だからこそ、とことん抱っこ紐のプロフェッショナルでいたいと思っている。
そんな私が、オススメの抱っこ紐は?と聞かれた時の答え方は、活動の中でずいぶん変化してきた。その試行錯誤の記録をまとめてみようと思う。
一枚布のベビーラップにハマった専門家初期
一枚布の織布ベビーラップの魅力を知ったことから、抱っこ紐の世界にズブズブとハマっていくことになる。

抱っこ紐ひとつで、人生が変わった。
愛しかった我が子を何十倍にも愛おしく感じ、できればやめたいだっこおんぶ、が、「もっとさせてほしい時間」になった。我が子との毎日が彩られて、本来の自分に久しぶりに出会えた感覚。これはすごい。
この変化は、一枚布のベビーラップだからこそなんだ!と思った。ベビーラップや布のスリングでだっこおんぶすることを「ベビーウェアリング」と呼ぶんだと、その時は思っていた。
布以外の抱っこ紐は「ベビーキャリー」で、「ベビーウェアリング」ではない。そう習い疑わなかった活動開始初期の頃。
でも海外のベビーウェアリングコンサルタントさんの発信を見ると、バックル式も使い分けていることに気付くようになる。
道具に関係なく「Babywearing」と表記されている。ベビーラップやスリングも「Baby Carry」と言われている。
あれ?世界では「ベビーウェアリング」の定義が違うのかな??
この疑問が浮かんできた頃、ドイツのベビーウェアリングスクールDie Trageschule®︎が日本に招致されることになり、その校長のウルリーケヘーバ先生に、この疑問を直接質問できることになった。

「ベビーウェアリングの定義」を知ってからの活動期
「ベビーウェアリングの定義ってなんですか?」と、先生に私は聞いた。
素手だっこ、バックルタイプの抱っこ紐、一枚布。日本では布でだっこすることをベビーウェアリングと言うのですが、、と、私が話し、通訳さんが先生に伝えてくれた。
すると先生は、なぜそんなことを聞くのかしら?とでもいうような表情をしてふっと笑い
「Just LOVE」と答えたのだった。
ゴールは家族の愛。常にそこを見るのだと先生は付け足した。
感動した。圧倒的だった。深く刺さった。
細かいことよりも、大きく大切にしなきゃいけないことをバーンと見せられた感覚だった。
そこから、「抱っこ紐の種類はなんでもいい」「親子の笑顔のために」「養育者が持っているものをより良く使えるように」がわたしの信念のひとつになっていった。
それから何年も、「Just LOVE」の感動をセミナーで伝えていくことになる。
この言葉に共感して今も現場で活用してくれている専門職の方がたくさんいる。とても嬉しい。
確実に違いがあるベビーラップのbenefitを言語化したい
抱っこ紐の種類は問わない。確かにそうだ。どんな抱っこ紐を選んだ養育者にも、否定せず寄り添っていく。その気持ちは今もなお変わらない。
それでも、一枚布の抱っこ紐を選んだママは、なんだか輝きを増していくことが明らかに多い。良い悪いではなく、これは事実なのだ。
この違いはなんだ?
「Just LOVE」を胸に活動しながらも、明らかに何かが違う、というこの感覚を深掘りせずにはいられなかった。
Die Trageschule®︎の招致3年目。いよいよ最終段階の認定コンサルタントコース受講の年が来た。
認定コースでは、ベビーウェアリングに関連して自分が研究したことをプレゼンするという課題があった。
私は「ベビーラップの可能性」を発表することに決めた。
赤ちゃんを育みながら、大人の自由と、なりたい自分を叶える一枚布のベビーラップ
プレゼンでは、ベビーラップが好き、という感情に引っ張られないよう、事実を大切にしながらベビーラップがもつ可能性を発表した。

日本では、母になったら全てを子どもや家族にささげ、自分は後回し、それを良き妻良き母とされる時代があり、今もなおそういう思考はある。
もちろん、母本人が心の底から幸せならそれでいい。ただ、自己犠牲のもとでそうせざるを得ない瞬間や風潮を感じることは、今もなお経験がある人も多いのではないだろうか?
この話題を、賛否両論あった「わたしおかあさんだから」という歌を題材に話した。
そして、幸せの定義について。
時代と共に変化してきた幸せの価値観。
物を持つ幸せ
行動する幸せから
なりたい自分を叶える幸せへ。
母になると、なりたい自分は二の次で、行動も制限され、ほしいものもまずは子どものものを無意識に優先することも多いだろう。
そんな中で、抱っこ紐に一枚布のベビーラップを選択すると、好きな色柄、自分の気持ちを満たしてくれる一枚を手にして、子どもと一緒に行動できることと範囲が広がり、育児をしながらも自分らしく親というステージの自分を生きることが叶うようになる。
母になり簡単には叶わなくなったことが、一気に満たされるのだ。
だからベビーラップを選んだ母たちはイキイキと輝き出す。
しかも、まだ立ち歩けない赤ちゃんの心と体の発達を適切にサポートし、我が子との愛着を築きながら。
これは、明らかなベビーラップ特有の魅力。
そんなことを15分にまとめて発表した。
言語化したかったことをプレゼンでき、先生からも深く共感をいただき、とても充実した機会だった。
そして、なぜベビーラップは特別だと感じるのか、自分の考え方を整理することができた。
自分の中で見過ごせなくなってきた「抱っこ紐の種類はなんでもいい」への疑問
日本の抱っこ紐市場はカオスだ。

日本文化で使われてきた日用品の抱っこ紐への代用や応用(へこ帯やさらし、昔ながらのおんぶ紐)の製品、
様々な国で開発された抱っこ紐の輸入品、
Babywearing視点で開発されたもの、そうではないもの、
海外本来のBabywearingの意味合いが日本語の説明書には載らず適切に伝わっていない製品、
海外製品の形を模して日本のメーカーが開発したもの、それを模してさらに開発されてきたもの、
日本のメーカーが独自に開発したもの、
助産師さんが勧めるスリング、
雑貨のようにハンドメイドされたスリング、
…といったように、とにかくあらゆるものが全て混ざって「抱っこ紐」なのだ。
ドイツのBabywearingを学び、日本の子育て支援現場で抱っこ紐の専門家としての対応し続け、明らかに「このタイプでは海外本来のBabywearingは難しい」というものにもたくさん出会ってきた。
日本の抱っこ紐市場のカオスを、一般養育者が適切に見極め、赤ちゃんの発達に良く自分にもフィットするものを選び決めるのは不可能に近い。
この現状で「なんでもいい」と考えることは本当に正しいのか?
赤ちゃんに良い、親にも良い、どちらも大切にしたいと考えた時に心の中では答えを持っているのに、なぜストレートに言えない?
自分の違和感は大きくなっていく一方だった。
様々なメーカーへの配慮、
何かを否定したいわけではないという気持ち、
一生懸命考え購入し使っている養育者の気持ちへの配慮、
実際には一人一人の養育者に寄り添った答えがあるため、ひとつの選択だけを主張することへの違和感、
そもそもドイツのBabywearing理論は知られていなすぎるので、マジョリティに淘汰されてしまうこと
明言を避けたい色んな理由がある。
それでもネット上にはどうだろう?今日も、赤ちゃんの窒息事故が起きたタイプの抱っこ紐が、普通に販売されている。
赤ちゃんの命と発達に関わる道具なのに、雑貨として扱われてしまう現状、
お勧め口コミから選んだものの、使ってみたら合わなかった、赤ちゃんが泣いてしまった、危険な状態のまま使われている、ママたちは困っている、
そんなことがあとを絶たない。
そんな中で抱っこ紐について、色んな考え方の人たちが、それぞれ思うままに発信している。
私は?「抱っこ紐はどんなタイプでもいい」という表現で本当にいいの?
Just LOVEと言ったウルリーケ先生も、様々な道具を検討する時間に「No」をはっきり言うこともあったではないか。
「Just LOVE」には、「赤ちゃんにも大人にもbenefitがある道具ならば」という前提があったのではないか?
なんでもいいけど、なんでもいいわけではない。にたどり着く
こんな疑問の中で、私は「抱っこ紐はなんでもいい」と伝えるのはやめようと感じるようになっていった。
「なんでもいい」の「なんでも」には、ドイツのBabywearingを軸にした時に、明確な基準があるのだと考えるようになった。(その解釈はそれぞれだと思うので、あくまてわたし自身の考えです)
赤ちゃんの発達段階に合わせてフィットさせられて、大人の負担が少なく快適に使えるもの。
つまりは、「ドイツや海外のBabywearing理論を軸に開発された道具を、発達に合わせて適切に使うのであれば」、布タイプでも、バックルがついていても、スリングでも、「なんでもいい」。
赤ちゃんをどんな姿勢で抱くのか、発達に合わせて、姿勢や抱き方はどう変わっていくのか。
抱っこ紐を使うために必要なことを理解した上で、大人の好みや状況に合わせて選択した抱っこ紐なら「なんでもいい」なのだ。
とはいえ、養育者が生活の中でどこまで意識してできるかは、正直難しいし、矯正する必要はないと思う。パパママに絶対大切にしてほしいことは、赤ちゃんが窒息しないこと、など最低限のラインだ。
ただ、伝える側、専門家側の意識として、「持っているべき軸」は必要で、明確に表現していいのだと、思うようになっていったのだった。
ドイツのBabywearingと日本のベビーウェアリング
ここで書いておきたいのが、「ベビーウェアリング」について。
アメリカで発祥し、ドイツなどで専門的な研究が進んだBabywearingは「道具を使って赤ちゃんを抱っこすること」と海外版Wikipediaで説明されている。
Babywearingの効果についても、英語で検索すればネット上でもある程度知ることができる。
(海外本来のBabywearingについて、日本語で読むことができるものはかなり少数で、知っていないと検索でたどり着くのは難しい。)
一方日本で「ベビーウェアリング」は「布製の抱っこ紐で身にまとうようにだっこおんぶすること」と解釈されている。
日本文化の中で行われてきただっこおんぶも「ベビーウェアリング」の代表的な方法のひとつとなりつつあるが、両者を深く学んでいくと、赤ちゃんの姿勢の考え方、赤ちゃんの発達に合ったおんぶの開始時期、各タイプの道具の捉え方などに微妙な違いがあることに気付く。
しかし「違いがある」ということを、ベビーウェアリングの専門家であっても明確に理解していないことが多いのではないだろうか。
どちらが良い悪いという話ではなく、「違いがある」ということを知り、自分は何を学び伝えているのか自覚することが大切なのではないか。
それは、例えば茶道なら裏千家なのか表千家なのか
心理学の中でもアドラー心理学を伝えている、とかを自覚しているのと似ていると思う。
ドイツBabywearing理論を学び、現場で活動しはじめた専門家たちが「活動してみたらもやもやする」と口を揃える原因のひとつは、日本のだっこおんぶや「ベビーウェアリング」と「ドイツや海外のBabywearing」にはそもそも違いがある、ということがあやふやになっているからなのではないだろうか。
そう気付いた時に、学びの場を主催する者として、「だっこの学校」ではまずそこを明確に伝えようと決めたのだった。
全て対応できる視点とスキルを持った上で自分のスタンスを大切にするということ
私が主催するだっこおんぶと抱っこ紐を専門的に学ぶ「だっこの学校」は、ドイツのBabywearing理論を軸に採用している。
その上で、日本のあらゆるだっこおんぶや抱っこ紐の相談に自分はどう対応していくか、受講者それぞれが自分の答えを探せる場であることを大切にしている。
「どう考えたらいいか整理できた」「もやもやが少し晴れてきた」、受講生からよく聞く言葉だ。
みんなそれぞれに考えながら、対応する抱っこ紐の種類を決めて活動する人もいれば、親子支援の現場で様々なタイプに対応する人もいる。
私自身はコロナ禍をきっかけに、オンラインで専門職向けの活動に舵を切り、養育者向けの対面活動は一時休止していたけれど、地域で限定的に再開することにした。
普段だっこの学校でメンバーと話しているよう、「自分のスタンス」を大切にして活動しよう。
⚪︎ドイツのBabywearingを伝えたい
⚪︎赤ちゃんの抱っこの仕方を習うことに、格差をうみたくない。→養育者には無償でサポートできる形を作りたい
⚪︎無償活動は、自分がやりたいことに限る。お金を払ってでもやりたいと思うほど好きだと思えることをやる。
そう考えた時に、織布ベビーラップを使ってみたい!と思う人をサポートすることは、上記にぴったり当てはまった。
だから地元の養育者向け対面活動では「ベビーラップ育児」という言葉で活動をすることに決めたのだった。
専門家向けには、ドイツBabywearing理論を軸にしながら、広く全体的に学び考えていける場作りを。
一般養育者向けには、赤ちゃんの発達と自分への快適さを同時に叶える抱っこ紐の選択と使い方をしたい方に向けてベビーラップ育児サポートを。
「抱っこ紐の種類を限定したくない」と思い続けたわたしにとって、大きな変化の時だった。

ドイツのBabywearingを伝える専門家として
長くなってしまったけれど、これがわたしの試行錯誤の経緯。
いま、お勧めの抱っこ紐は?と聞かれたら、「織布ベビーラップ」とまずは答える。でも、使い勝手や使い心地をどう感じるかは個人差があるから、似た使用感で使えて赤ちゃんにも安全で大人も快適なタイプは他にもある、と付け足す。
結局抱っこ紐のオススメにひとつの答えはないのは変わらない。
でも、「織布ベビーラップでの赤ちゃんの安全な姿勢や抱き心地」を体験してから自分に合うタイプを選んでいくのがひとつの道になるといいと思う。
でもこれは、パパママが自力で調べながらは難しい。ドイツのBabywearingを学び伝えられる専門家に立ち会ってもらうのが当たり前になるように、目の前のできることを続けていきたい。