
長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いていきます。
2020年の3月頃から始まったコロナ禍の一斉休校。6月に入るといよいよ分散登校がはじまりました。
我が家は家族で話し合い、息子の意向も聞いて、分散登校期間は登校しないことに決めました。
感染への心配、という大きな理由があったけれど、私の本心としては、まだ続いてほしいと願ったこの期間を、できるだけ長く続けたかった、ということろが大きかったのは否めません。
この期間は各家庭での判断に委ねられていたので、お休みすることを伝えてすんなり受け入れてもらえました。なんだか、猶予期間をもらったような、ちょっと複雑な気持ちになったことをよく覚えています。
コロナに関連する理由をどれだけ並べたところで、私も息子も、対話すればするほど、根本的な理由はそこにないことが浮き彫りになるばかり。
学校に行かないこの生活で、瞬く間に元気になった息子。学校というシステムがあっていない息子。「分散登校中は」という理由をつけていても、いずれ向き合わなければいけない瞬間はすぐにいやってくる。
もうなあなあにするのはやめよう。学校とちゃんと話をしよう。
休校期間中に学年は変わり、それまで主に話を聞いてくれていた(適応教室を甘えと言った)教頭先生は異動し、担任も変わり。
新学年の自動調査票に、登校前に前学年でのこと、これからのこと、一度面談を希望していたけれどそれに対する対応はなく叶っていません。
やっぱり一度しっかり話さなければ。息子のことや親としての想いを伝えて、先生方とお話ししてから今後のことは考えよう。
面談の申し出をして、機会を取ってもらうことにしたのでした。
⑤に続く