
長男の不登校から市民立小中一貫校を選択するまでの記録です。その途中で、シングルマザーになったり、自分でスクールを運営した期間もありました。教育移住、離婚、そして子どもたちの学校問題がひと段落するまでの4年の記録を書いていきます。
学校が長期間休みになったコロナ休校
2020年2月末から3月頃。コロナ禍の一斉休校で学校が休みになり、学校に疲れていた息子はみるみるうちに元気になりました。
私はベビーウェアリングコンサルタントとしてパパママ向けに講座やイベントをしていたものを全てを延期や中止にして家で過ごすようになりました。
子どもたちの予定とパズルを組むように動き回っていたのが、突然全部なくなり、朝昼晩、エンドレスのご飯作りに兄弟喧嘩の仲裁。
急激な生活の変化に早々にストレスフルになりかけたけれど、それ以上に、子どもたちとこんなにゆったり過ごせるということが幸せだと感じる瞬間が多かったのは自分でも意外でした。
長くなりそうな自粛期間に私が学び始めたこと
この先働き方を変えていく必要を感じ、以前から子どもを対象にしたことを始めたいと思っていたこともあり、ステイホーム中にオンラインで学べる シュタイナー算数教育 教師養成講座 の受講を決めました。
シュタイナー教育。
的確に言葉にできるほど深く学んでいないけれど、シュタイナー算数を体験しながら学んでいく中で、シュタイナー教育の根底に、深く大きな愛を感じました。
子どもたちひとりひとりの発達や心に丁寧に寄り添いながら、大きな愛の中で人間力の根っこが深く育まれる感覚。
体感から育む学びの本質、教科を超えて、学年という枠を超えて、長く広い視点の中で育む人間力。
一言でいえば、ただただ魅了された。という感覚を今でもよく覚えています。
こんな教育が世界にはあるんだ。それが公教育として認められている国があるんだ。
こたえはひとつじゃない、選択できるということ。シュタイナー算数の学びを通して、私の中に新しい視点が芽生えたことは、息子の教育を考えていく上でも大切なきっかけとなりました。
分散登校開始、プリントの嵐の中での大切な気づき
休校期間中に4月になり、息子は3年生になりました。実感は当然ありません。
クラスも担任も変わったけれど、先生の顔はマスクで覆われていてわからない。クラスメイトは誰がいるのか、共有すらされない。
そして学校からもらってくるたくさんのプリント課題。
「虫眼鏡の使い方」を、虫眼鏡を使うことなく、プリントの穴埋め問題のみで知る。
地図記号の意味を考えたり教えられたりすることもなく、ネット上で簡単に行き当たるプリントを印刷したものが配られて、「今度の登校時にテストをするから覚えてくるように」と一言。

シュタイナー算数を同時に学んでいた私にとっては、その違いがもう、ありありと迫ってくる感じ。アプローチを変えるだけでもっとなにか、子どもたちの心に届く形にできるのではないか。いやいや、でもこんな状況で現場はすごく大変で、一生懸命やってくださっている。
やり場のない気持ちや苛立ちの中で、はっと気づいたことがありました。
これまで私は、全てを学校に「丸投げ」してきたんだなということ。
学力、人間力、社会とのつながり。子どもに育みたい色々なことを全て学校に。
親が責任を持つ範囲と、学校が子どもたちに与えるもの。いかに深く考えず、毎日ただ送り出していた、ということ。
こうして息子の学習に関わってみると、息子は勉強自体はできるけど、それ以外の要素に多くの時間を割かなければいけないこと。
鉛筆と消しゴム、必要な教材を準備することにこれだけの時間がかかっていたら、短い休み時間で教科を切り替えて準備するのは難しいだろう。
いざプリントをはじめると、内容の理解はしていても、文字をきれいに書きたいとか、線の角度が気になるとかにプチパニックして、学習どころじゃないということ。
でも内容自体は理解しているから、次へ次へと進みたくなること。
納得しないとやりたくないこと。
周囲とペースを合わせるのが好きじゃないこと。
学校に行きたくないと言い始めた頃、「自分専用の先生がいたらいいのに」と息子が言っていた意味を初めて理解した気がしたのです。
一斉始動と思考優位の机上の学習が、いかに息子に合っていなかったか。
息子の爆発、一斉休校、そしてシュタイナー算数の学びが重なったことで、気づくことが本当にたくさんありました。
これまで私はどれだけ、息子を見ているつもりで見ていなかったのか。ショックでした。

そんなことがあって、私は決めたのです。
目の前の息子の「今」に、本当に心を寄せて、ちゃんと関わっていこうということ。
これが一斉休校中に気づいたことと私の気持ちの変化でした。
③につづく